誰かに話す・頼るって難しい【はるかぜ通信第7号 パート3】
はるかぜ通信第7号パート3
特集:生きづらさを語ろうの会(中編)


読者のみなさまへ
トーク会ではメンバーそれぞれのつらい経験の話が出ます。
場合によっては、読むことでかえって苦しい気持ちになってしまうこともあるかと思いますので、その際はけっしてご無理をなさらないようにしてください。
はるかぜトーク会 ルールその2
話したい/聴きたい の割合は一人ひとり自由。皆の話を聴いて自分の考えを深めるのも大事。
聴いてくれる人がいてこそ、話したい人が話せるので、「聴く」も大切な関わり方です。
4.心の病気のこと、どこまで話す?

私は自分の病気のことをなかなか周囲にオープンにできていないのが、しんどいというか、もどかしいなぁと感じています。

自分の兄や、毎月会う美容師さんにも言えていません。

美容師さんには、「最近仕事は忙しいの?」と聞かれることもあって、一応「休職しています」とは伝えるんですが、

結局「まぁ忙しいです⋯」みたいに、当たり障りない返事で流してしまっています。

相手によって、打ち明けるかどうかを考えるのは大変ですよね。

そうですね。はぐらかすというか、嘘をつくというか⋯。

自分で言ったことの辻褄を合わせるために、嘘が嘘を呼ぶ状態になってしまうこともあったり。

仮に病気のことを打ち明けたとしても、話をややこしくしてしまうだけだなぁと。

本当の事を言うのは難しいと感じて、クローズしてしまっています。

美容師さんとの距離感なら大丈夫ではありますが、たまに友人と会ったりすると、話を合わせようとしてしまいますね。

言うにしても、どう伝えたらいいのか悩むし、言わないにしても隠し続けるつらさがあるので、

どちらを取るのかという選択はなかなか難しいと思います。
5.苦しい時に、助けを求める難しさ

私は小〜中学校でいじめを経験しました。

そういう状況は自分の力だけではどうにもならないことが多いのですが、

そこでうまく他の人に助けてもらえず、問題の終わりが見えない⋯となった時、「生きづらさ」を意識し始めたと思います。

その閉塞感が、「生きづらい」になるポイントという感じですね。

自分がしんどい状態の時に、避難できる場所があるか、安心して本音を吐き出せる相手がいるか、というのは重要だと思います。

今の私でいえば、はるかぜクリニックに来て、丁寧にカウンセリングをして下さる主治医の先生に出会えたことで、救われている部分も多いです。

その話、ホントによくわかります。私は今まで、誰かを頼るとか、自分のつらさを分かってもらうことへの挫折感を何度も経験しました。

いじめを受けても教師が無視したり、周りを気遣う負担を押し付けられて、ひとりで消耗してしまったり⋯。

はるかぜとは別の場所で、ひどい対応を受けたこともあります。

はるかぜに来て、「大変だったね」と主治医(濱屋先生)に言って貰えたとき、

「自分はこの言葉をかけてくれる人に出会うのに10年以上かかったのか」と思いましたね。

自分の味方になってくれる人の存在は有難いです。

濱屋先生って、かけてほしかった言葉をかけてくれますよね。


生きづらさを抱える人は、「自分さえガマンすれば、その場は収まる、全体がうまくいく」と考えることが多いのかもしれません。

私が出会った人でいえば、みんな優しい人だなと感じます。でも本来はそういう人にこそ、ガス抜きが必要。

「相談する」ということにハードルを感じることもありますね。

否定されることの怖さもありますし、「自分はしっかりしていなければ」という意識があると、罪悪感が出てしまいます。

自分のキャバが限界でも、他人の頼みを断るのがニガテで、

「頼ってくれた人を見捨てるのか?」「他の誰かに負担が回ってしまうのでは?」と考えた末に、押しに負けて、引き受けて抱え込むことが多かったです。

しんどい気持ちをせっかく打ち明けても、拒絶されたり、信用していた人に悪意を向けられたりすると、相当生きづらいと思います。

逆に、「限界ラインを超える前に相談してよ」と言ってもらえることもあるんだけど、なかなか難しいんですよね。

もちろんそれが出来ることは大事なんだけど、「そうは言ってもね⋯」となります。

「相談しないと苦しくて、相談したら楽になる」という単純なプラス・マイナスの計算にはならないんですよね。

相談することにもエネルギーを使いますし、怖さやためらいも感じます。

そのマイナス同士を比べて、相談しない方を私は選びがちでした。
6.生きたいのに、うまく生きられない

「生きたい」からこそ「生きづらい」と思うのかもしれません。

私の場合は、「本当につらくて死にたい」には達していなかったからこそ、「相談するほどのことでもない」と言われる気がして誰にも相談できず、

「甘えてはいけない」とひとりで苦しさを抱えて生きてきたと感じます。

「死にたいとまでは言わないけど、なんかしんどい」って重要な要素だと思います。

生きたいのに、自分がいわゆる「普通」の土俵に立てていない感じ。

「生きづらい」は、生きることを完全に諦めている訳じゃないんですよね。

そこで「生きづらさ」が湧いてくるのは、ある意味では正常な反応なのかもしれません。
>>後編につづく…
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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次回パート4は近日公開です。