周りと噛み合わない自分【はるかぜ通信第7号 パート2】

はるかぜ通信第7号パート2

特集:生きづらさを語ろうの会(前編)

※トークメンバーのプロフィールはパート1でご紹介しています。

トーク会ではメンバーそれぞれのつらい経験の話が出ます。

場合によっては、読むことでかえって苦しい気持ちになってしまうこともあるかと思いますので、その際はけっしてご無理をなさらないようにしてください。

1.他人とかみ合わない自分のカタチ

かつ丼

「生きづらさ」は前々から感覚としてはあったのですが、はっきりと言葉になったのはここ数年のことです。

かつ丼

「生きられないわけではないけど、なんか苦しい」という感じで、

かつ丼

昔から、表面上は学校・社会生活が成り立っているように見えるけど、人間関係でどこか周りと歯車が噛み合わず、皆の輪から外されることがありました。

かつ丼

「自分も悪かったのかも⋯」と言い返せずにいると、相手もエスカレートして、更に悪意の対象にされてしまいます。

よもぎ

かつ丼さんは、「いびつさ」という言葉がしっくりくると以前からおっしゃっていましたね。

かつ丼

「自分の人間としての形が、他人や社会が求める形に合わない・合わせられない

「そもそも何が自分に求められているのか分からない」

かつ丼

といった意味で「いびつさ」という言葉を使っていて、しっくりきています。

かつ丼

周囲に合わせようとしても、どうしても裏目に出てしまいますね。

よもぎ

「いびつさ」という言葉は私にも重なります。

よもぎ

私は自分の事を「羽化がうまくいかなかった」のだと思っていて。

よもぎ

周りの皆はちゃんと成長して、綺麗な蝶として飛べるのに、自分は羽が真っすぐに育たなかったのか、同じようにはできなかった。

よもぎ

それを「いびつさ」と感じています。

かつ丼

「いびつさ」も先天的なものと、後天的なものがありますよね。

よもぎ

それらが個性として受け容れられたらいいなと思うのですが、

よもぎ

社会では皆きれいにまとまっているのを良しとする無言の圧力があるのも感じていて、生きづらさの原因の一つなのかなと思います。

2.自分のつらさに気づけない

かつ丼

そういうデコボコな自分を無理に周囲に合わせようとすると辛いのですが、

かつ丼

一方で何がどう辛いのか、自分では認識しにくいところもあります。

かつ丼

他人と全く別人種というほどズレているわけでもなく、全体的に中途半端に適応しているからこそ、

かつ丼

何が辛いのか分からなかったり、粗が目立つところを攻撃されたり⋯。

ダイ

自分がどうしても苦手なことを、無理に「普通の感じ」にしようとするのはとても疲れると思います。

ダイ

私の場合、度を越えて無理している時にはやたらと活発になっていて、その時は「意外とできる」と思ったりするのですが、

ダイ

その気分が途切れた後の落ち込みが激しく、「自分じゃない何か」が頑張った気がしてしまいます。

ダイ

一方で、周囲からは「問題ない人だ」と認識されてしまうので、自分が過大評価されていることが段々苦しくなって…

ダイ

「本当は違うんですけど⋯」というのも言いづらくなってしまいます。

かつ丼

他人に合わせている時の自分って、自分でも謎ですよね。

ダイ

他人に求められているものに必死に応えようとしているときは、自分の疲れとか痛みに鈍くなります。

ダイ

蓄積はしているけど自覚はなく、周囲からも大丈夫だと思われていて⋯。

ダイ

でも、それは無意識にガマンしているだけなので、限界が来た時にガタッと崩れてしまうのがつらかったです。

はるかぜトーク会 ルールその1

「傾聴」を大切に。相手の話を否定したり、勝手な決めつけやアドバイスをしたりするのはNG。

話す人も一方的に話し続けるのではなく、対話を楽しみます。

3.自己肯定感の低さに向き合う

かつ丼

自分と他人を比べたり、比べられてしまったりすることも。

ダイ

自分の欠点を意識するとき、どうしても他人を美化してしまい、雲の上の遠い存在のように思ってしまいます。

ダイ

客観的に見れば、誰だって完璧超人ではないハズなのですが⋯。

ダイ

逆に、自分の長所を褒められたら嬉しいのかというと、それはそれで「自分はそんなに褒められるほどじゃない」と素直に受け取れない。

ダイ

そういう二重の自己否定がある感じです。

かつ丼

周りの同僚を見ていると、みんな自分のことが好きなんだなぁと思います。自己肯定感が高いというか。

ダイ

私の場合は、「自己肯定感が低い」という言葉も、最初はしっくりきませんでした。

ダイ

自分に過度に厳しくなっている時でも「妥当な自己評価」だと思い込んでいたんですよね。

ダイ

そこから、「ダメな自分」という認識は私の主観で、「自己肯定感の歪み」らしい、という事が徐々に理解できるようになりました。

ダイ

時間はかかりますが、少しずつ修正していきたいです。

よもぎ

うまくいかないことがあっても、「失敗ではなく経験」と捉えることを就労支援PGで学びました。

よもぎ

今までの出来事を全て経験に昇華できているわけではないけど、そう考えると見方が変わるような気がします。

よもぎ

また、そこで他の人と比較しないようにしています。

かつ丼

自己肯定感は「自信がある」とは別で、自分のダメな所も含めて肯定できることなんだと思います。

かつ丼

その点、私自身はあまりそういう風に受け入れられてはいないです⋯。

よもぎ

「ダメな部分もあっていいんだよ」と肯定された経験が多いか、逆に責められた経験が多いかで、自己肯定感は変わる気がします。

よもぎ

例えば親との関係でも、子どもの頃は親は神サマのような存在だったから、つらく当たられると苦しかった。

よもぎ

もちろん、親も一生懸命、愛情を注いで育ててくれたのだとは思うし、親も親で一杯いっぱいですから、親を責めるつもりはないんですけどね。

かつ丼

親子関係の影響度は大きいですよね。

かつ丼

「能力がある・ない」とか、「その関係にメリットがある・ない」とか、

かつ丼

そういう損得が絡まない関係を築ける相手がいてこそ、自分の存在を丸ごと受け容れてもらえる経験が出来ると思います。

よもぎ

親の「子どもにはこうしてあげたい・こうあってほしい」という思いと、

よもぎ

自分の「こういう風にしてほしい」という思いが噛み合わないと、満たされなさを感じるのかも。

かつ丼

大人になってから、親も親なりに愛してくれていた、と気が付くこともありますよね。

>>中編につづく…


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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次回パート3は近日公開です。